
この世の中に幸せでありたくないという人は誰も存在しないし、すべての人が幸せでありたいという願いを持って生まれてきたと思うのです。しかし幸せになれる人と、なれない人がいるのですがどこが違うのでしょうか。
またすべての人が、生まれてくると同時に「死」というゴールをめざして人生航路に旅立ち、幸せな航海をしようとしているのに、途中で自分の命を絶つ人もいます。たとえ死を選ぶ人ですら、幸せになる道があることを知っていたら、決して自分の命を絶つことはしません。幸せになるには、なるための法則があるのです。
私は自分の所に来る青年達に、こんな質問をしてみました。「人間は死ぬ時に、泣くこともできない、目配せもできない、意思を伝達することもできない、もちろん体を動かすこともできない、そして自分の枕元に、自分を愛してくれた人がおおぜい、自分の臨終を見守っている。果たしてその時、その人達に自分は何ができるだろうか?」と。
あとから答えを聞かされたら「なるほど」と思うのですが、誰も今自分が死ぬときのことを考えているわけではありませんから、すぐには思いつかないようです。
それで私は青年達に言いました。たとえ体が動かなくてもできることが三つあります。
一つ目は「ありがとう」と思うこと。今まで私を助けてくれてどんなに嬉しかったか。あなたに生かされて私は生きていたという「感謝」の心。
二つ目は「ごめんなさい」と思うこと。どんなにあなたにお世話になったかしれないのに、私は何のお返しもしていなかったという「お詫び」の心。
三つ目は「どうか幸せに」と思うこと。私はもうすぐいなくなるけど、どうかあなたは幸せに生きて、遺った人達を幸せにしてくださいという「祈り」の心。
他に何ができるでしょうか。世界中の誰もができる、「感謝」と「お詫び」と「祈り」、死ぬときにでもできるこの三つの心のはたらきに、私は「幸せの原点」があると思うのです。誰もが幸せで生き、幸せで死にたいと願っているのです。(ここにいらっしゃるバングラデシュからのお客さん、アズミさんもそう思うはずです)どんな国でも、どんな時代でも、どんな宗教でも、たとえ子どもでもわかるようにかみ砕いて伝えるとしたら、幸せになるために必要なものはこの「三つの心」のことです。

そして、「三つの心」が、奉仕の原点であると思うのです。
私の目の前には「超我の奉仕」という、崇高なロータリークラブの今年のスローガンが掲げられております。何のために私たちは、奉仕を志すのでしょうか。それは「幸せになりたい」からです。ところが人の幸せを考えずに、自分だけが幸せになりたいというセオリーはないのです。
考えてみてください。奉仕の原点には必ず「愛」があります。他を愛したら自分が愛され、他を幸せにしたら自分が幸せになります。作用があれば反作用がある、すべてが循環するようにこの世はできております。それが大自然の摂理、宇宙の法則、この世のルールです。
六本木ヒルズの誰かさんは「愛情はお金で買える」と言いました。果たしてそうでしょうか。その結果、彼は多くの人を不幸にし自分は拘置所で取り調べを受けながらその罪を清算しております。人はお金で愛情を買うことはできません。

インドのコルカタでマザー・テレサはいつも次のような話を私たちにしてくれました。
あるお弟子さんが、イエスに訪ねました。「先生はこの世の終わりにまた来る、とおっしゃっているけどその時どんなことがあるのでしょうか?」イエスは弟子に言います。「この世の終わりの時には羊飼いが羊と山羊を右と左に分けるように、正しい人と正しくない人を右と左におきます。そして正しい人に『あなたがたは私が飢えていたときに食べ物を与えてくれた。私が渇いているときに水をくれ、泊まるところがないときに宿を与え、私が裸のときに着るものを与え、病気の時には私を見舞い、私が牢につながれているときにも訪ねてきてくれたではないか』、正しいと言われた人達は言います。『先生、私たちはいつそのようなことを先生に為したのでしょうか。身に覚えがありません』イエスは答えます。『そうではない。あなた方が貧しい、最も小さな人達に為したことは即ち私に為したことと同じです』、『You
Did It To Me. 私にあなたが為してくれたのだ』と」。私たちボランティアに、何度も何度もこのことをおっしゃる方でした。
晩年に、マラリアで高熱を出して入院していたときでさえ、病院のドクターとけんかをしてまで無理やり病院を抜け出して来られ、車椅子から立ち上がって、マザー・テレサは私たちにこの事を伝えてくださいました。
「あなた方はインドに来て、ボランティアをして何を学びましたか?貧しい人達に何かをしてあげたのではありません。あなたがたはここに来て、最も大切な人に直接、触れる喜びを体験したのです。あなた方が貧しい人達の中の最も貧しい人達に仕えたことは、あなたの最も大切な人に仕えることができた大きな喜びなのです」と、言ってくれたのです。
私たちはカトリックの団体ではありませんが、マザー・テレサの愛の実践は単にキリスト教だけの財産にはしたくないのです。彼女の愛の実践は世界中のすべての人が共有できる「奉仕の原点」なのです。
私たちはこのマザー・テレサの考え方を基本に、貧しい人や親のない子ども、最も弱い人に仕えることは、最も大切な人に仕えることなんだと世界中の人に知って欲しくてレインボー・ホームを建設しました。
特定非営利活動法人レインボー国際協会は、何か持っている人が持っていない人に国際協力をしたいと思って生まれた団体ではありません。皆さんに実際にインドのレインボー・ホームに来ていただきたいのです。
レインボー・ホームの親のない子ども達の目は輝いています。確かに戦後、日本は文明が発達し、豊かになりました。しかし、たとえ学校に行けなくてもあの貧しい国のスラムで裸足で泥んこになって駆け回っているインドの子ども達と、毎日学校から帰ってきても、良い学校、良い就職をめざして塾に通わされ、満員電車の中でこっくりこっくり居眠りしている日本の子ども達と果たしてどちらが幸せでしょうか。
私たちのもとには年間を通してたくさんのボランティアさんがいらっしゃいます。レインボーの子ども達に接して、初めは貧しい人達を助けたいと思ってきたボランティアさんも子ども達の笑顔に接しながら、しだいに「自分は人に何かをしてあげようなんて、何と傲慢なことを考えていたんだろう。そうではない、この子ども達にしていただいていたのはこの私だった、本当に癒されていたのは私のほうだった」と気づいて、ボランティアさんは帰るとき、子ども達と抱き合って、泣きながら帰っていきます。「愛されていたのは私だった」ということに気づきながら・・・・。

そうなんです、人を愛していたら自分が愛されていたことに、彼らは気づいていったのです。そうして、今自分がどんなにか幸せであるかを知っていったのです。人間は人を幸せにすることによってのみ、幸せになることができるのです。マザー・テレサが私たちに教えているように、ただひたすら最も大切な人に仕えることによって私たちは幸せになるように、人間は造られていると思うのです。
私たちは幸せな生を願うと同時に幸せな死を願います。ならば人のために仕えることです。人の幸せのために生きることです。死ぬときに、あのカツ丼をもう一杯食べてから死にたい、あのトロをもう一口食べてから死にたいと言いながら逝きたくないですよね。
来年のこの場所で、「では、どうしたら幸せになれるか」お話しができたらと思っております。
ご静聴ありがとうございました。
五十嵐 薫 |