プロジェクトの理念
虹は七色、いろんな色をもって全体はひとつ
人間も一人ひとり、個性をもってみんなはひとつ
虹は心と心の架け橋
虹は天と地の架け橋
虹はインドと日本の架け橋
虹は神と人との架け橋
虹は天からのメッセージ
第一章  レインボー・ホームの理念
レインボー・ホームの生まれた背景
レインボー・ホームで伝えたいこと
レインボー・ホームの理念
マザー・テレサに学ぶもの
レインボー・ホームの未来
第二章  孤児の家建設の歩み
ピュア・ハートを作りなさい
天の意志を信じて
レインボー・ホームの完成
第三章  私のライフ・ワーク  レインボー・クリニック
                パナウル診療所所長  医師 古川誠二
プライマリ・ヘルスケア
私たちができること


『虹』、五十嵐家の門から、インドを望んで

【第一章】レインボー・ホームの理念

海外で活動するNGO(非政府民間組織)の目的とすることは『海外協力、海外援助』にあり、発展途上国において貧民や難民の救援活動と、その国が先進国に追いつくための人材養成、経済援助そして技術指導にあるのが一般の考え方である。それは先進国、日本の果たさなければいけない大きな役目だと思う。
しかし、私たちがカルカッタに親のない子ども達のために孤児の家を作った目的は、『海外協力』のためだけではない。ただ貧しい人たちを救おうという目的ならば、現在活躍しているNGOに協力すれば、それで用は足りる。
そうではなく私たちは、何のために生まれて来たのか、この世に生を頂いてどう生きたらいいのか、どのように生きたら私たちの命は輝くのか、『生命の証明』として孤児の家を作ったのである。

都会で暮らしている人に、向こう三軒両隣にどんな家族が住んでいるか知っている人がどれだけいるだろうか。彼らは隣近所と関わらなくても生活していくことができる。およそ自分たち夫婦と、わずか一人か二人の子ども達の幸せを守れば、それでいいのだ。そしてわずかでも時間があれば、母はマイホームのローンの支払いに少しでも足しとなるように、子どもを保育園に預け、パートタイムに励む。
その家庭で生まれ育った子ども達は、父母が祖父や祖母に尽くしている姿を全く見たことがない。同じく子ども達は、自宅と会社を往復する父が人のために苦労している姿を見たことがない。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫と生活は便利になり、経済的に何の不自由もなくなり、使い捨ての商品が限りなく生まれ、次々に発明される文明の利器は現代人の心から「もったいない」とか「ありがたい」という気持ちを奪い去っていった。
「何のために私は生まれて来たの?」と子どもに聞かれても親は答えることもできない。

彼らは小さなウサギ小屋で、人のことを考えなくても生きていける人生を、しっかりと父母に学んでいった。望めば何でも与えられ、何不自由なく育てられた。いい高校、いい大学に入るためにいい塾が与えられ、いい会社に入ることが幸福の条件として教えられた。
しかし人間は他に尽くした時に喜びを感じ、自分のことだけを考えている時に孤独に陥る簡単な生命の法則のことは誰も教えてくれなかった。いや、口では教えてくれなかったがしっかり体で覚えたのが『他人に負けたら自分が生きていけない』競争の原理だけであった。
能力が偏差値で評価され、社会に落ちこぼれないための競争を強いられ、自分の個性を他に認めてもらえなかったならば浮かばれない人生観を教育されてきた。その結果が登校拒否や家庭内暴力、非行問題として現れていった。
どうしたら魂が喜ぶのか家庭に喜びを見いだせない少年少女は、家庭の外に喜びを求めて、非行や暴走族などのグループを作っていった。また売春や覚醒剤など一時的な享楽に身を任せたり、行き場を見失って新興宗教の罠にはまる者も多い。

彼らは一様に自分の存在がわからないのである。自分なんて家庭に必要とされていない。この学校に必要とされていない。職場に必要とされていない。この社会にも必要とされていない。自分なんてこの世に生まれてくる必要がなかったと思いこんでいる。淋しい魂の迷い子達である。

マザー・テレサはかつて日本を訪れた時に、経済大国、日本の持っている最大の貧困を指摘した。
「日本にもたくさんの貧しい人がいます。それは、自分なんて必要とされていないと思っている人たちのことです」
 マザー・テレサはこの世で最も貧しいことは、経済的に貧乏であることではなく、社会から捨てられ、自分なんてこの世に生まれてくる必要のない人間であり、その孤独感こそが最大の貧困であると断言した。

ここで1988年10月18日、デリーにおいて、ハンセン病のことについて語ったマザー・テレサの講演の一部を紹介したい。

私たちは世界中でたくさんのハンセン病の人たちをお世話しています。クリスマスにはいつも彼らのために、特別のごちそうを用意するのですがある時、手足が全く機能しなくなった一人のハンセン病の病人が私のそばに座っていました。私は彼に言いました。「ハンセン病はけっして天罰なんかではない」と。すると彼は私のサリーの裾を引っ張って「もう一度言ってほしい」とせがむのです。私はその時、彼の本心に触れたような気がしました。
彼には私の言葉が「自分は愛されている。必要とされている」と聞こえたのです。あのハンセン病の兄弟たちが私たちに求めているのはこのことなのです。
もちろん、薬をやることも必要なことです。しかし当たり前のことですが、最もすばらしい行為は彼らに、必要とされている、愛されている、と感じさせてあげることです。

私たちのレインボー・ホームは、親のいない子ども達に、「私は必要とされている、私は愛されている」という思いを伝えていきたいのである。

 ■ レインボー・ホームで伝えたいこと

『インド心の旅』では、カルカッタで訪れる子どもの家が、マザー・テレサの施設の他にもう一軒ある。それはSOSチルドレンズ・ヴィレッジであり、SOSとは Safty of Soul (魂の救済)という意味である。
この孤児の家を支えるSOSチルドレンズ・ヴィレッジ運動は、第二次世界大戦の犠牲者として遺された孤児たちを救うために、オーストリアのヘルマン・グマイナー博士によって始められた。
孤児たちを大きな施設で育てるのではなく「家庭環境の中で育て、ごく普通の人間社会の営みに返してあげたい」というささやかな願いからスタートし、現在約60ヵ国で150ヵ所以上の子どもの村が運営されている。

その一つがカルカッタの郊外ソルト・レイクと呼ばれる地域にあり、一軒に7、8人の子どもが一人のお母さんによって育てられている。同じような家が20軒ほど集まり一つのコミューンを成している。
子ども達はすべてお母さんの戸籍に登記され、法律上も本当の家族として扱われている。一人の男性ディレクターが約20軒をまとめていて、子ども村の実質上の父親代わりを努めている。
この村の子ども達の目は本当に輝いている。安心した天真爛漫さで飛びついてくる。中には普通の家庭と同じように人見知りして泣く子もいる。それを見て逆にこちらもほっとする。
SOSチルドレンズ・ヴィレッジの子ども達もかつて捨てられた親のいない子ども達であるが、今は24時間一緒に同じ家に運命を共有している母がちゃんといる。SOSの子ども達は「自分はもう捨てられない」ということを全身で知っているのだ。普通の家庭では当たり前のことであるが、これは孤児院すなわち施設との決定的な違いである。『普通の家庭に普通の子どもが育つ』簡単な理屈である。

私たちのレインボー・ホームもたくさんの子どもを一緒に預かる施設ではなく、ごく普通の家庭を作りたいのである。子どもが抱きしめて欲しい時に、いつでも抱きしめてあげられるお母さんを用意したいのである。
夜中に目が覚めた時に、手を伸ばしたら母親のぬくもりに触れる、「ママがそばにいた」それだけで安心する幸せを与えてあげたいのである。

レインボー・ホームのお母さんは子ども達にこう教えるだろう。

あなたはこの世に生まれてくる時に、たった一人のお母さん、たった一人のお父さんを選んできたのではない。海の向こうにたくさんのお母さん、お父さんを選んでこの世に出てきたのよ。
みんなあなたの家族。今も日本で祈ってくれているあなたの兄弟たちがいる。本当はこの世に出てくる前にあなたが自分で望んで、お母さんになってもらった人たちなのよ。
どこまで感謝できるか、どこまで愛情を感じられるか、それを学ぶためにあなたはこの世に出てきたの。神様はあなたの生き方を見守っているのよ。こんなにたくさんの愛に囲まれて、最高に幸せじゃない?
あなたを生んでくれたお母さんや本当のお父さんは今どこにいるかはわからないけど、魂の乗り舟をあなたにくれたのよ。それだけでも感謝よね。
あなたは決して捨てられたんではない。神様に願われて、祝福されて、祈られてこの世に出てきた生命。あなたはたくさんのお父さん、お母さんを自分で選んで、愛を学ぶためにこの世に生まれ、再びあの世に帰る生きどおしの生命なのよ。

レインボー・ホームの子ども達に私は『永遠の生命』を伝えていきたいのであり、特定の宗教を教えようとは思わない。真の幸せの価値観を伝えたいのである。
この人生観が理解できた時に、彼らは絶対孤独の寂しさから解放されていく。「自分は捨てられた」という心の傷が癒され、自分は守られているという安心感、生かされているという幸福感に変わっていくのである。

 ■ レインボー・ホームの理念

 人間は大きな天の慈愛の中に、自ら両親を選び愛を学ぶためにこの世に生まれてきたのである。

Life is a light, a law of nature and an act of love. Man is born to learn how to love others and to be made aware that life is the gift of a greater being.
 いのち それは光であり、法であり、愛である。人は愛に気づくために生まれ、生かされて生きるいのちである。

これは私たちのレインボー・ネットワークの理念である。私は海外で外国人とコミュニケーションする機会が多いが、彼らが最初に注目するのがこのポエムである。

誰もがこの詩の美しさを絶賛する。そして次に「世界中の人々の理念です」とうなづいて、すべての人の共感を集める。
マザー・テレサも「ベリー・グッド」と言って誉めてくれた。ヒンズー教のプロジェクト・メンバーも、友人のイスラム教徒もこの理念に反対する人は誰もいなかった。この言葉こそ宗教の枠を越えて世界中の信仰を束ねる普遍的理念と言える。
レインボー・ホームに特定の宗教を持ち込む気はない。しかし、私たちを生かしている『神』と『永遠の生命』は隠さずに、しっかりと伝えていくつもりである。見えない世界の真実を啓発していくことがこのプロジェクトの中心である。

レインボー・ホームは単に、貧しい孤児を救済していくためのプロジェクトではない。飢えや貧困から救うだけなら、食べ物と着るもの、住むところを提供すればいい。でもそれでは真の『魂の救済』とはならない。マザー・テレサも伝えるところの「自分は必要とされていない」絶対孤独感を癒すためには、Life is the gift of a greater being. 即ち、『人生とは神からの贈り物である』という価値観が必要不可欠だと思う。
この普遍的な価値観を伝えていくことが、レインボー・ホームの使命と考えている。

 ■ マザー・テレサに学ぶもの

マザー・テレサは単に貧しい人を救おうとしてきたのではない。マザーの本質は、神の愛を伝えたいのである。そして貧しい人に仕える(助けるではない)ことは、マザーにとって最も大切な方、イエス・キリストに仕えることと同値なのである。おそらくマザーの心の中には、ボランティアという言葉も存在していないだろうと思う。なぜなら、自分の生命そのものとさえ思える方に尽くす機会をいただいていることは、それ自体がマザーは魂の喜びと感じているからである。
だから貧しい人への奉仕は、マザーとミショナリーズ・オブ・チャリティー(神の愛の宣教者会)のシスター方にとって信仰生活そのものであり、神の愛を語らずして、人の愛を語ることはできない。

マザーに何かメッセージをお願いすると、よく書いてくれる言葉がある。
「神が(イエス様)があなた方を愛するように、あなた方もお互いに愛し合いなさい」

世界中から集まっている私たちボランティアにマザー・ハウスで講演してくれたことがあった。
「あなた方は死を待つ人の家に行って、彼らに何かをしてあげてる、なんて決して思わないでください。してもらっているのは、あなた方であることに気づいてください。あなた方は貧しい人に奉仕ができる喜びを与えていただいているのです。彼らに負債を持っているのはあなた方の方なのです」そう言って、聖書のマタイ伝25章の話をしてくれた。
マザーの『奉仕』に対する価値観を理解し、レインボー・ホームの理念にも直結する価値観であるので、あえてここで紙面をとりたい。

主が栄光の座に着かれる時に正しい者と正しくない者を右と左に分け、正しい者に言われるだろう。
「あなた方は神が用意されたこの国を嗣ぐ者たちである。なぜなら、あなた方は私が飢えていた時に食べ物を与え、乾いていた時に水をくれた。また宿がない時に泊めてくれ、着る物がなかった時に衣類を与え、病気の時には看病してくれた。そして獄中につながれている時にも見舞ってくれた」正しい者は応えて言った。
「主よ。いつ私たちがそのようなことをしたでしょうか。(覚えがありません)」
「よく聞きなさい。最も小さい無力な私の兄弟に対して為したことは、即ち私に為したことと同じである」

マザー・テレサが言われる貧しい人の中の最も貧しい人とは、イエス・キリストご自身のことである。貧しい人に仕えることは、まさにイエス・キリストに仕えることであり、マザーにとって光栄な事であり、魂の喜びなのである。
ここまで『奉仕』が昇華されると、もうボランティアなんて言う言葉は存在しない。
私たちが貧しい人達や、無力な親のない子ども達に仕えるということは、最も大切な人に仕えるということと同じである。それ自体が魂の喜びなんだと思う。

私達は子どもの家でボランティアをやらせてもらって、反対に癒されているのはこちらの方であることに気づく。子どもの前では、誰も気取る人もいない。威張る人もいない。認められようとも思わない。自分自身が素直になれて、優しい気持ちにさせてくれ、愛情一杯に心を満たしてくれる。どんな名医でもできない癒しを私たちに与えてくれる最高の名医、それが子ども達だと思う。

 
■レインボー・ホームの未来

一軒の家には約十人の子どもが限界である。自分の経験からも、私が部屋に入って行って、誰がいないのか、また直感で今、誰がどんな心の状態でいるのかすぐにわかるのは十人が限界のように思う。それ以上になると、一回ずつ人数を数えなければ、全体を把握することも難しくなる。もちろん、もっと能力のある人はいるに違いない。でも心の行き届いたケアをするためにはあまり数を増やさない方がいいと思う。
また、日本から心のお父さんお母さんが来た時に日本語でコミュニケーションができるように、私たちの子ども達には日本語を伝えていきたい。
子どもの持っている能力は驚くべきものがある。わずか三歳の子どももほとんど母国の言葉を話す。大人の我々が三年かかっても難しい英会話を子どもはいとも簡単に覚えてしまう。意思の疎通を図るには、子どもが日本語を覚えることの方が断然早い。そして子ども達が日本語を知っているということは、才能のある子は日本に来て、いくらでも日本の技術や勉強を学ぶことができる。

そしてこの理念を伝える子どもが、レインボー・ホームの一つの家から二人出てきてくれたら、約25年後には成人して次のホームを作ってくれることだろう。子ども達の中には親の心を知らずに、社会に出ていく人もいると思う。むしろ反抗して飛び出す子もいるかもしれない。それはどこの家庭も抱えていく問題だと思う。

しかし、レインボー・ホームから教わったように自分は捨てられたのではない、自分から望んでこの世に生まれてきたことを伝えていく子どもが一軒の家から二人出てきたなら、約25年後には3件のレインボー・ホームになることだろう。
各家からまた二人、50年後には3の2乗、九件の家ができることだろう。75年後には3の3乗で27件、100年後には3の4乗・・・・。300年後には3の12乗、約54四万件のレインボー・ホームが誕生していることになる。一軒の家に十人の子どもがいるとして、即ち540万人の孤児だった子どもは、孤児でなくなっている。
そして一軒のホームを100人の里親が支えていると仮定して、5400万人の人がいつも貧しい親のなかった子ども達のことを考えていることだろう。それは日本の人口の約半分に近い。

もちろん、その時に私たちはこの世にいない。しかし、あの世から私たちのレインボー・ホームを訪ね、子ども達に声援を送っているに違いない。私たちは300年後の未来を夢見ている。
もしかしたらもう一度この世に生まれて、レインボー・ホームの子どもになっているかもしれない。

【第二章】  孤児の家建設の歩み

私たちがインドに向かったのは、1985年3月のことである。当時、意識教育研究所の波場武嗣所長を中心に、私たちは大勢の家庭内暴力や登校拒否の青少年を預かって、苦闘していた。
貧しくとも生き生きと生きるインドの子どもたちに、悩んでいる日本の子どもたちを体ごと触れさせたら、彼らの価値観が変わるのではないか、と提案してくれたのが『マザー・テレサとその世界』の映画を作られた千葉茂樹監督であった。
そして私たちと親しい民間福祉の草分け、国分寺市にある(財)富士福祉事業団と一緒に合同企画として、第一回『インド心の旅』が始まった。

人間は「自分なんてこの世に必要とされていないと感ずる時、最も不幸である」とマザー・テレサは言われる。それはインドにおいては経済的貧しさとして現れているが、豊かな国、日本においては精神的な貧しさによる家庭崩壊となって現れている。
当時、波場所長が提唱していた『青年の家運動』は「自分は必要とされていない」と感じている青少年たちに、「そうではない。あなたも必要とされている、天地に祝福されてこの世に生まれた」という生命の喜びを伝える内省教育である。内省教育の海外セミナーとして『他を生かす時、自分自身が最も生かされる』生命の法則を実証する事が『インド心の旅』の原点である。
このように始まった『心の旅』だが、年を重ねるごとに、私は自分の使命が豊かな国から貧しい国へ、ボランティアをしにくるだけではすまないと感ずるようになっていた。

 
■ピュア・ハートを作りなさい

1993年3月、『インド心の旅』聖地巡礼コースのメンバーを日本に見送った後、私たちは十数人の仲間とカルカッタでさらに一週間のボランティアを続けていた。

その時出会ったのが、ホーリーランドの事務局長浅野博之氏だった。ホーリーランドは兵庫県にあるNGO国際エンゼル協会の精神的中枢の役割を担い、また国際エンゼル協会はバングラデシュを中心に、孤児の救済や開発途上国の援助に活躍しているボランティア団体である。
浅野氏はバングラデシュからグループを案内し、マザー・テレサのもとを訪れたところだった。あいにくマザーは不在で、会うことができなかった。私は、せっかく来たのに残念だろうと思って一緒に話しをし、彼らの帰る朝、カルカッタのボランティア仲間で話題になっていたマザー・テレサの写真集をプレゼントさせてもらった。

その折、彼らがバングラデシュで孤児院を運営していることを聞き、強烈に心を打たれるものがあった。「今まで自分がやりたかったことは、このことだったんじゃないか。インドに孤児の家をやりたい」という思いだった。
インドとバングラデシュは隣どおしの国、民族も同じ、カルカッタとは話す言葉も同じペンガル語、ただ宗教だけの違いではないか、もともと同じ国だったんだから。「できる。カルカッタにだってできる」と、勝手に湧きあがってくる独りよがりな思いはどうしようもなかった。
「しかし、本当にできるんだろうか。でも途中で失敗したらどうしようか。笑われるんじゃないか」期待と不安の中で、いろんな迷いが出てきた。

翌朝、マザー・ハウスのミサに行って祈った。
「こんな大それたことを自分は始めていいのでしょうか」と心で聞いた。その時不思議にも、確実に返ってくる言葉があった。
「Make pure heart, and I build.」(純粋な心を作りなさい。そうすれば孤児の家は私が作る)そう言っている言葉の主が、天に在ると感じた。

瞬間、胸のつかえが取れ「自分が作ろうと思うから、いろんな迷いも出てくるけれど、孤児の家は自分が作るんではない。天が作るのであって自分は、天の意志を受け取れるピュアな心を作ればいいんだ」と理解すると雑念がスッとなくなり、気持ちが楽になった。
あとから考えると、ピュア・ハート作りの方がどんなに難しいかがわかってくるのだが・・・。

小さい頃に読んだ『南総里見八犬伝』の話を思い出した。生まれた時から、文字の彫られた玉を持っている犬士が八人、全国に散らばっていた。彼らは天の意のまま、しだいに集められ、やがて自分が持っていた玉の意味に気づき、力を合わせて、困難に立ち向かっていく物語である。
「もしこの計画が、すでに天にあるものなら、自分にだけ与えられたものではない」と思った。

日本に帰ってすぐこの話をさせて頂いたのが、その時、一緒に釈尊の聖地巡礼の旅をさせて頂いた方で、広島で『光の集い』を主宰する小田貞子先生だった。今思えば1993年3月の『インド心の旅・聖地巡礼コース』に、もし小田先生が参加なさらなかったら、孤児の家レインボー・ホームの建設は夢で終わったかもしれない。

小田先生は私たちより一週間早く帰国していたが、私は日本に帰るとすぐに電話をかけて、カルカッタでの国際エンゼル協会との出会い、そして孤児の家建設に馳せる思いを語った。
その時、意外にも「国際エンゼル協会のことならよく知っているわよ。川村百合子さんが代表なさっているでしょ。以前、同じ教えを勉強していた仲間よ」という言葉が帰ってきた。そして、「あなたが、この話を私に伝えてきたということは、神さまが私に、何かしろということね。私に最初のお金を出させてね」と即座に言うのだった。
当時、趣意書も青写真もまだ何もない。ただ私の頭の中だけの夢物語に、「お金を出させてね」と言われる人って何という人だろうと思った。

まもなく開設された口座には、信じられないような多額のお金が振り込まれてきた。私はいただいていいものか、心配になって電話をかけた。
「いったん、あなたにあげたからには私のお金じゃないし、あとはあなたが何に使っても自由よ。孤児の家ができてもできなくてもいいから、負担に思わないでね」という返事だった。
負担だったら、捨ててもかまわないとさえ言われる。迷っている私の背中を、誰かにポンと押されたような気がした。私は、自分の死に場所がインドに与えられたように思った。

 
■天の意志を信じて

インドという国は、とてつもなく矛盾に満ちた国である。一筋縄ではいかない。至るところで政府の許可が必要であり、すべてにお金が絡んでくる。ピュアに進めようとしても、どこかに障害があり、気持ちだけが焦った。まだ時期が熟していなかったのかもしれない。
最初に作った現地法人も、構成する人達の目的意識が一致しなくて、自分で作ったにもかかわらず自分の手で閉じざるを得なかった。

代わりに親友のサンディープ氏を中心に『虹』に願いをかけてレインボー・プロジェクトは1996年6月25日、恩師高橋信次先生の命日をきっかけに新しくスタートした。新しいインドのメンバーは、実はマザー・テレサの依頼を受けて、シャンティ・ダン(平和の贈り物という意味の施設)の建設をはじめ、多くの仕事を任せられている人達だった。

まずレインボー・ホーム・トラストという名前で現地法人を設立し、土地捜しを始めた。私たちの子どもの家は誰もが気軽に訪ねることのできる場所が望ましい。日本の里親やボランティアが、好きな時に好きなだけ滞在し、子ども達と歌い、子ども達と語らい、一緒に食事を作って一緒に食べ、時にはスポーツを楽しみ、ピクニックに行ったりお風呂に入れてあげて、一緒に暮らせるような家庭を目指している。そうでなかったら私たちがやる意味がない。
だからこそ初めてのインドであっても自力で、安全に行ける範囲に建設したいと思って、ずっと土地を捜してきた。幸い、カルカッタの中心部から車で四十分ぐらいの距離に、430坪ほどの土地を手に入れることができた。
大きな宣伝はいっさいやらなかったにも関わらず、次第に資金も集まり始めた。特に使用済みテレカや、使用済み記念切手の収集をこつこつやってくださる方の応援がありがたかった。

1997年8月、『インド心の旅』に与論島から参加した医師古川誠二氏は、将来貧しい国の医療に携わりたいことを話してくれた。自分もできたらレインボー・ホームの敷地に医療施設を作りたいことを話したら、すぐに意気投合し、レインボー・プロジェクトに地域の貧しい人達のための、無料診療所の計画が加えられた。

こうして協力者も次第に増えていった。協力者というよりも、このプロジェクトを一緒に推進する仲間といった方が適切かもしれない。
問題となっていたのは外貨の両替許可である。インドという国は誰もがドルや円、ポンドなどの外貨を自由に持つことができない。また両替するためには、相当の理由をもって政府に申請を出さなければならない。しかしインドのこと、いつその許可がおりるか誰もわからない。法人であっても同じ事である。この外貨両替許可がなければいくら日本から銀行送金しても、先方はそれを現地通貨として受け取ることができない。この外貨両替許可が得られるかどうかが、このプロジェクトの大きな鍵となっていた。
1997年にクシナガラという場所で病院建設を始めた日本のNGOインド福祉村協会は、この許可を取るのに十年かかったという。
しかしインドのスタッフはやることが速く1998年10月、この許可をわずか2年少々で取ってくれた。

 
■レインボー・ホームの完成

11月29日、現地では工事の無事と建物の完成を祈って、司祭ブラフミンを呼んで厳粛な起工式のセレモニーを行った。余談であるが、あとから撮ったその場所の写真に、くっきりと不思議な放射状の七色の光が写っていた。

ここまで来るのに、私たちはプロジェクトのために、使用済みテレカ収集以外にいっさいの募金の呼びかけをしてこなかった。アンケートで寄付を申し出てくださった方々にさえ、あえて寄付の依頼を出さなかった。それにも関わらず、約三千万円以上の資金が集まったことは驚きだった。そのうちの約200二百万円は使用済みテレカと使用済み切手の収入である。

なぜ資金集めのための募金活動をしなかったかというと、外貨両替許可がおりないうちにお金を集めてしまって、この申請が拒絶されたらプロジェクトはそれで終わり、みんなに嘘をついてしまうという不安があったことは本当であるが、それにも増して知りたかったのは、天の意志であった。プロジェクトが本当に神様の掌の中にあるなら、資金や人材、環境など必要なものはきっと過不足なく、必ず与えられるだろうと信じたかった。実際、自然と用意が整ってきた。
建物が完成して、子ども達が生活を始めて、目に見える活動に援助してくださる方は多いと思う。しかしそれまで、目に見えない計画に、寄付してくださった方々、その心は本当にかけがえのないものであり、自分にとって「天が導いてくれる」という確信と同じ意味を持つものだった。

日本側ではその支援体制を整えなければならない。そのためレインボー国際協会という名前のNPO(特定非営利活動)法人設立の申請をおこない、1999年9月、東京都より正式に認証を受け、登記完了と共に、特定非営利活動法人レインボー国際協会が発足した。電話も事務所もピュア・ハート企画と兼用で、インドへの送金を考え、節約できるところは最大限節約してきた。
名前だけはインターナショナル、夢は大きく、小さな我が家の六畳間から始まったレインボー・プロジェクトである。
2000年11月11日、、ミレニアムを迎え1が4つ並ぶ日、この日はプネマという満月のお祭り、とても縁起の良い日だそうである。日本からも約50人の方々がお祝いに駆けつけてくれ、カルカッタ日本総領事館からも、祝福をいただき、同時に3人の孤児を迎え、私達のレインボー・ホームはスタートした。


第三章】 私のライフ・ワーク      レインボー・クリニック
              パナウル診療所所長     医師 古川誠二


1997年の夏、『インド心の旅』に参加して念願のマザー・テレサにお会いした時、マザーはすでにもう一つの贈り物を用意していて下さっていたような気がする。それは『心の旅』を企画する五十嵐薫氏との出会いと、氏が長年取り組んでいたレインボー・プロジェクトとであった。マザーはその一週間後に突然この世を去られたが、この贈り物はその後の私の人生を一気に方向づけるものとなった。
最も医療に恵まれない離島の医療をめざした私の将来の人生設計は、遠いアフリカの地で究極のプライマリ・ヘルスケアを実践することであった。プライマリ・ヘルスケアについては後で詳しく述べたい。

大阪で離島医療のための準備をしている頃、アフリカの医療に関係する勉強会の情報が入ると、何をさしおいても飛んでいったものである。そして、与論に赴任してすぐに作ったのが『与論アフリカ協力チーム』(YACT)であった。診療所の仲間に声をかけながら、ケニアの子供達の里親になったり、本や情報を集めて勉強会を開催した。月日が経ち、諸般の事情で町立診療所を辞し、開業した。YACTは自然消滅のような形になったが、アフリカへの夢は捨てきれず、里親の援助は続けていた。

そんなある日、友人のハンス神父様のご縁で『インド心の旅』に参加する機会を頂いた。
その際、カルカッタでプロジェクト現場に案内されて五十嵐氏に、孤児の家レインボー・ホームの敷地内に貧しくて満足な医療を受けられない人達の為に無料診療所ができないだろうか、という話を持ちかけられた時、私は、これが今度の旅のもう一つの大きな意味であることを直感した。
私の考えるプライマリ・ケアの医療を世界中に広めたいという希望が、一気に目の前に近づいてきたような気がした。

その後、インド政府からの外貨両替の許可、急ピッチで進む工事、日本のNPO法人レインボー国際協会の認可、そしてクリニックの開設許可、我々の想像を遙かに越えた早さで、何かに導かれるように、いやむしろ強引に引っ張られるかのようにすべてが順調にすすんでいる。こう順調に進めば、益々この計画は神が私たちに与えた使命ではなかろうかとさえ思えてくる。

今にして思えばマザー・テレサの導きの一つだったのかも知れない。今はその聖櫃の前で、どうかこの計画を見守って下さいと祈るだけである。

 
■ プライマリ・ヘルスケア

次に具体的にレインボー・クリニックでどのようなことをしたいのかという私のプランである。その前にプライマリ・ヘルスケア(以下PHCとする)について若干説明したい。私が初めてPHCという言葉と出会ったのは、1978年のアルマ・アタ宣言である。当時のソビエト連邦のアルマ・アタにおいて世界保健機構(WHO)は、PHCの国際会議を開催し、『2000年までにすべての人々に健康を』という目標を立てて、六項目のPHCのための具体的な戦略を発表した。世界中のすべの人々が、社会的、経済的に生産的な生活が送れるような健康レベルに到達させるために新たな決意を示した。

しかし、その後も世界中の人々の多くは貧困と飢えの中に、およそ健康とはほど遠い生活を強いられて来た。私は将来このことを解決するための国際的な仕事ができれば、と漠然と考えていた。

そんな時ある友人を通し、米国の科学アカデミーの推奨するプライマリ・ケア医の持つべき特性という発表を知った。その内容はまさに、私の考えるPHC実践のための理想的なモデル像であった。目からうろこが落ちるとはこのようなことを言うのであろう。私の探し求めていたものが全くすべてそこに網羅されていた。

それは次ぎのように要約される。
一、『近接性』 地理的、経済的、時間的すべてにおいて
二、『包括性』 予防から治療、リハビリテーションまで。病気を人として全体的に診る全人的医療、コモンディジースを中心とした全科的医療。小児から老人まで年齢に関係なく診る医療。
三、『協調性』 専門医との綿密な関係。チームメンバーとの協調。住民との協調。社会資源の活用。
四、『継続性』 ゆりかごから墓場まで。病気の時も健康な時も。病気の時は外来、病棟、外来と継続的にみる。
五、『責任制』医療関係の監査システム。生涯学習。患者への十分な説明。
 このようなプライマリ・ケア医が世界中に増えて、PHCの実践を目指せば、先のアルマ・アタ宣言のすべての人を健康にするという目標がかなえられる。

 
■ 私たちができること

レインボー・クリニックでは、まず、第一に伝染病の予防という観点から水の消毒や、食べ物の加熱処理、身体の清潔保持、地域環境の整備などの保健衛生思想の啓蒙普及をする。そして、クリニックの診療内容は、プライマリ・ケアの特性を活かして、感染症や風邪のようなコモンディジース、栄養問題を中心に、いつでも、誰でもが気軽に利用できるような形にしたい。
インドにおける感染症は、その90%以上が胃腸炎、コレラ、腸チフス、A型肝炎などの経口感染症と、マラリア、日本脳炎、カラアザールなどの昆虫媒介伝染病である。従って、設備機器はそれらの疾患に対応できるように、尿便検査、血液検査、細菌検査などを行えるように備えたい。そのためには顕微鏡、細菌培養のインキュベーターなどは必須の物であろう。また、できればレントゲン、心電図、超音波検査器機などは備えたい。

いずれにしても、基本的には医療器機に頼ることなく、心の通いあう医療を心がけたい。インドでも高度な医療が行われているが、我々は特殊な先端医療は手がけない。その代わり、できるだけ多くの患者を診療できるように医薬品や消耗品に資金を多く使いたい。同時にできれば、孤児の家の子供達には将来スタッフとして働けるように知識と技術を少しずつ教えたい。

また、戦争や地震などの災害が起こった時に、日本の緊急援助隊の現地の基地として活動したい。現地の事情を理解している組織が母体となればより一層スムーズに援助活動ができると考えるからだ。

さらには、国際ライオンズクラブが進めている医療援助の視力ファーストの拠点としても活用したい。将来の夢として、マザー・テレサの施設のあるところに、必要ならば順次クリニックを開設して、プライマリ・ヘルスケアを世界的な規模で展開したい。

とにかく夢は大きいが、何しろ私たちはまだ組織も小さいし、財力も人材も乏しい。この計画の進行があまりにも早いので、正直言って差し迫っての資金はどうするか、医者や看護婦などの医療スタッフの確保はどうするか、悩みは尽きない。あまりに壮大で深淵な計画だからといって、恐れてばかりはいられない。千里の道も一歩から。ただ今は、目の前にある問題を一つ一つクリアしながら進んでいくしかない。

そして、私たち一人一人がみんなのことを考えて行動をおこせば、やがてそのうねりは大きな河となり、海となっていくだろう。その時初めてこの日本という国は真に豊かな国になるに違いない。

そして世界中のどの国民もすべて等しく健康で人間的な暮らしをするようになり、世界に平和が訪れるだろう。その日が一日も早く訪れることを夢見て、みんなで力をあわせて孤児の家レインボー・ホームとともにこのプロジェクトを進めて行きたい。皆様の温かいご理解とご支援をお願いしたい。

       連絡先:〒891-9308 鹿児島県大島郡与論町那間2747-1   電話0997-97-2073
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