レインボー通信

◆2004年1月25日発行
(第5期−第4号)


子ども達の生活改善に外務省NGO支援無償資金協力

マラ、スジャータ、そしてピントゥの3人

 2000年11月に三人の親のない子ども達を、ウエスト・ベンガル州の社会福祉局から預かって、始めたレインボー・ホームでした。(写真右:マラ、スジャータ、そしてピントゥの3人)
 少しずつ子ども達が増えていって、15、6人ぐらいまでは、普通の家庭のようにホーム・マザーのリリーに寄り添うかのように男の子も、女の子も一緒に寝ていました。
プリヤンカとアシス  大きい子も入ってきて子ども達は、2年前ぐらいから男の子の部屋と、女の子の部屋に別れて寝るようになりました。
 当然、上の子はだんだん、恥ずかしい気持ちも芽生えてきて、女の子の年長部屋を用意しました。しかしあい変わらず個人の寝具もなく、広い大きなベッドにみんな一緒に寝ていました。
 だから一人が学校からシラミをもって来ると、みんなに伝染したりして大変な時期もありました。天井に付いている大きな扇風機も停電になると、何時間も動かなくて暗い中、怖いし暑くて眠れない夜もありました。
レインボー・ホームの子ども達  今回、在印日本総領事館の協力をいただき、外務省の「日本NGO支援無償資金協力」の制度に、子ども達の生活改善をお願いしました。基準を満たすためにたくさんの資料を作成しなければいけなかったのですが、幸いに今回申請が認められて、個人の整理用引き出しの付いた二段ベッド、寝具一式、扇風機、それに停電のための自家発電機の購入資金など、合計1,661,427円をいただきました。
 子ども達の生活環境もよくなり、ホーム・マザーの募集がかなえられたら、これからレインボー・ホームの子ども達の人数も増えていくことでしょう。
 今度はどんな子が来るかな。




レインボー・ホーム訪問記

レインボー・ホーム訪問記


こんにちは。里親、池田典子さん
本当の国際協会とは?

池田典子さん

 私がレインボー・ホームを知ったのは『ナマステ、インディア』というインド政府観光局が中心となって毎年開催されているイベントで、案内のプリントをもらったことがきっかけでした。常々、私は「国際協力」というのは非常に難しく、なかなかいい方法はないだろう、と思っていました。
 貧しい人たちがいるならば、金銭的な援助は必要だろうけど、その場しのぎにならないだろうか、と考えていました。
 もっと、みんなが教育を受けられる環境を作り、働く場所と機会を与えていくことが大切であり、たとえ寄付をしても、どこに使われているのかわからないというのであれば、『国際協力』に積極的に取り組む気にはならないと、思っておりました。
 ところが、レインボー・ホームを知り、送られてきた「レインボー・プロジェクトの理念」を読んで、「ここだったら出来るんじゃない?」と思ったのです。


レインボー・ホームの魅力

レインボー・ホームにて

 興味を持った最大の理由は、孤児の家を作った目的が単なる「貧しい人たちを救おうとする海外協力」のためではなく、不幸にして孤児となってしまった子ども達に、「この世に生まれてきたことの意義」や、「愛されることの幸福感」を伝えていきたい、という姿勢にとても共感を覚えたからなのです。
デバシス  そして私がもう一つ興味を持ったのは、一ヶ月3,000円で里親会員になったら、いつでもレインボー・ホームに行って、泊まることができるというところでした。そうすれば私の寄付が、実際に生きていることがわかるし、子ども達と交流することもできるというのだから、楽しみも持てると思いました。
 そして私は里親になり、2003年11月レインボーホームを訪れてみました。
 滞在時間が少なく、少ししか子ども達と触れ合うことができなかったけど、帰りの車の中で「行って良かった」と、心の底から思いました。きらきらと輝いた目で無邪気に笑って抱きついてくる子ども達に会えて、来た甲斐があった、と。
 孤児となって辛い思いをしてきたはずの彼らの目が、非常に美しく、感じたのです。そして次回はゆっくりと滞在し、もっと子供たちと触れ合いたいと思いました。
 私一人ができることなんて限られていると思うけど、何か始めなければ何も始まらないですよね。まずは、ネット・ショップを始めた私のホーム・ページに、レインボーの子ども達の作った「さをり」の作品を載せてみました。みなさんに買っていただくことによって、新しく糸を買うことが出来ます。
 私のページに、お気軽に立ち寄ってみてください。

「アジア衣料雑貨〜沙羅」http://www.sara-eshop.com/


駐在員日記 2004年1月1日

 今、子供達は冬休みです。4月からシバとビジェータは4年生、マラは5年生、アンジャリは6年生になります。子ども達も大きくなってきたので、ラジュー、ラフールも加えて土曜・日曜を8:30から9:30までの1時間、交代でキッチンの手伝いをする事になりました。この中で1番張り切っているのはアンジャリーです。背が一番高いし、他の5人より先にこれまでもキッチンの手伝いをしていましたから、皆に元気よく指図します。
 「ほら、ビジェータ!そのミルクはサンジュじゃなくてビクラムにやるのよっ」「そんな大きなコップをサンジュにあげたら、飲めなくてお昼になるでしょ!」「コラッ!みんな静かにしなさい!」
 この中で不思議な空気を感じさせるのはマラです。マラも積極的に手伝うのですが、静かな雰囲気で、漂うようなしぐさで手伝っています。我がままを言う子にも優しく話しを聞いてあげたりしています。私が時々、「マラ。みんなに静かにしろって怒鳴ってみろよ」と言うと、「え〜、怒鳴るのぉ…」「うん。アンジャリーみたいに怒鳴るんだ。」「う〜ん‥‥アンクル怒鳴ってよ‥‥」「いいから言って見なよ、試しに」「う〜ん、それじゃ‥‥こら、みんな静かに」と優しげな雰囲気で怒鳴ります。
 それをシバがニヤニヤして見ていて、「アンクル!俺が代わりに怒鳴ろうか?」と買って出ます。「お前はいいよ。いつも怒鳴ってるだろ。」と。
 こんな感じが最近の食堂の雰囲気です。子供の成長と共に、それぞれの個性が出てくるようで、子ども達の手伝いに興味津々のマザー達も活力を感じているみたいです。池田




七色のハート

2003年11月9日
レインボー・ホーム三周年記念


●カンナ氏の奥さん

さをり織りをプレゼントされたカンナ氏の奥さん

 インドのコルカタ(旧カルカッタ)で、11月9日にレインボー・ホームの三周年記念の行事が催された。スタッフ(ラビンドラ)の家族の子ども3人を含めて、31人の子ども達の歌や踊り、寸劇などかわいいプログラムで、庭に設営されたステージは、笑いと拍手で盛り上がった。
 その楽しいプログラムの途中に、半年前に亡くなった現地法人の前代表カンナ氏の、奥さんに子ども達から哀悼のメッセージと、子ども達が作った「さをり織り」のスカーフがプレゼントされた。長年連れ添って生きたご主人を思いだしてか、奥さんは涙ぐんでいた。それを見て、私もことさら胸に辛い思いがこみ上げてきた。「もっと長く生きていてほしかった」と、思ったのは私ばかりではないと思う。


●レインボー国際協会の総会の日に

 カンナ氏の急逝が国際電話によって知らされたのは、昨年の5月25日、第4期通常総会の朝だった。訃報を聞いたみんなはショックを受け、その日の総会は異例の黙祷で始まった。
 彼はマザー・テレサに仕事を委せられていたエクスプレス・ケーブルという会社の役員を務めていた。人柄はおだやかで聡明で、いつも冗談で人を笑わせながら笑みを絶やさない人であった。レインボー・ホームを建設するにあたって、この人ならば間違いはないと思って、私たちは現地法人レインボー・ホームの代表になっていただいた。
 彼は2000年5月に行われた、特定非営利活動法人レインボー国際協会の通常総会の時に、サンディープ氏と共に来日している。その折、故小田貞子氏や大阪の渡辺恵美子氏ともとても気が合い、親しく、広島や京都を案内してもらって、まるで竹馬の友のように友情を交わし合っていた。
 また数日間、我が家に泊まっている間に、私の妻を自分の娘と呼び、末娘の明日香を実の孫のようにかわいがってくれ、娘も自分のお祖父ちゃんのようになついていた。


●子どもは神様の贈り物

 もう二年近く経つのだが、忘れられない思い出がある。ウエスト・ベンガル州の社会福祉局の紹介でレインボー・ホームに、二人の姉弟がやってきた。
 娼婦街で育ち売春婦の母を持つ四才の男の子は、大人を見るとやたらにお金をねだった。また嫌がる小さな女の子に、訳もなくキスしようとする。怒るとすぐに暴力を振るう。
 上の女の子も異常に身体をくねらし、細めた舌を出しながら、人に媚びを売るかのように踊ってみせる。また気に入らないと、とても乱暴な汚い言葉を使った。
 私は、他の子ども達に対する影響を考えて、帰した方が良いのではないかと思った。情に負けないうち、できれば早い方がいいと考えて、スタッフを全員集めて、ミーティングを持った。
サンジュとピンキー  いろんな意見が飛び交ったが、カンナ氏はこう言った。「もし、私たちがこの子どもを受け入れなかったら、誰も受け入れることができない。この子達が問題を起こすかどうか、誰にわかるというのか。今わかることは、この子達は神様の贈り物だということだけ。この子ども達を受け取らなかったらレインボー・ホームではない」
 彼の言葉でみんなの迷いはいっぺんに吹き飛んだ。天に与えられたレインボー・ホームの使命を、本当に理解した最善のパートナーを与えられたことに私は深く感謝した。(今、ピンキーとサンジュは子どもらしさを取り戻している)


●クリスマスの日に

 先日、「インド心の旅」で宿泊していたコルカタのホテルに、カンナ氏のお孫さんが訪ねてきた。インド産であるが最高級のウィスキーを届けに来たのである。そう言えば、彼はこうして毎年クリスマスの日に私を訪ねてきたものだった。
 「年とってそんなにたくさん飲めないが」と言いながら、私とグラスをかわすことを楽しみにしていたカンナ氏だった。
 「ああ、ミスター・カンナは今年も私のところにやってきてくれたのか」と、じーんと胸に彼の思いが伝わってくる夜だった。(五十嵐)




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お知らせと報告


囲碁の指導ボランティアさん募集中

 昨年8月から9月にかけて、子ども達の囲碁の指導ボランティアをやってくださった神戸市在住の久保義宏さんですが、11月再度レインボー・ホームに来てくれました。子ども達に「グランド・パパ」と慕われて、1月15日まで過ごしました。その後、調布市の石浜義明さんが引き継いで、3月5日まで教えてくれます。
 子ども達の上達は早いもので、もう駐在員の池田では歯がたちません。どなたか3月から子ども達に囲碁を教えてくださる方、いらっしゃいましたらご連絡をお願いいたします。


アニメ映画「ゼノ」上映会がありました

 1月18日、府中市中央文化センターで、(財)富士福祉事業団制作のアニメ映画「ゼノ」の映画会が行われました。ゼノ修道士は長崎で原爆を体験し、戦後荒れ果てた日本のいたるところで、貧しい人達を救っていった方です。
 全国で、自主上映を希望される方は、当協会にご一報ください。


レインボー・ホームにもサンタクロース

レインボー・ホームにもサンタクロース!

 レインボーにもサンタクロースがやって来ました。今年で三度目、一昨年前には五十嵐パパの変装がわからずに、驚いて泣きだした小さな子ども達も、今ではクリスマス会が始まる前から、プレゼントが楽しみで、
「今年もサンタクロースが来るかな?」
と、子ども達の期待をくすぐっても、
「それ、五十嵐パパじゃん!」
全く相手になってくれませんでした。



*** 編集後記 ***
 人生は深い縁の 不思議な出会いだ。
 世尊の説かれた輪廻の不思議 その不思議が今の私を生かしていく。
 暗いものが明るいものとなり 信ぜられなかったものが 信ぜられるようになり
 何もかもがわたしに呼びかけ わたしとつながりを持つ 親しい存在となった。
 めぐりあいのふしぎに てをあわせよう。
 坂村真民

 私が今年の年賀状に用いた詩である。受け取った九州の学校の先生、福田さんが次のような感想をレインボーのメーリング・リストに載せてくれた。
 「何度もこの詩を読んでいると、今までのいろんな出会いがよみがえってきました。そして、今自分がここに生きていられるのは縁あって、出会ったその人たちから励まされ、力づけられて来たことを思い出しました。すると、心の中がしんとなり、温かい気持ちになりました。年賀状に感謝します。」

年賀状は一年に一度の挨拶の場合もある。だからこそ古くから伝わるこのすてきな日本の習慣に感謝しながら、一人ずつ思いだし、妻と一緒に手書きで宛名を書いてきた。これからも続けていきたい。(五十嵐)
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