レインボー通信

◆2001年9月25日発行
(第3期−第3号)


レインボー・クリニック毎日6時間の診療体制整う

 2000年8月15日にスタートしたレインボー・クリニックですが、当初3人の現地ドクターが週に1時間ずつボランティアで協力してくれておりました。
 地元ではしだいにレインボー・クリニックのニーズが高まり、毎日診療の声がありました。
 毎日の診療体制にするには、ドクターもボランティアというわけにはいかなくなってまいります。
 今年度、郵政事業庁のボランティア貯金に貧しい人々に対する診療体制の強化を目的として申請を出したところ、幸い1,582,000円の配分金をいただきました。そのうち630,000円は、人件費として認められています。
 さっそくレインボー・クリニックでは毎日勤めてくれるドクターを手配し、下記のような診療体制が整いました。

名前診療科目曜日診療時間
S.N.ドゥッタ一般内科月〜土11:00〜17:00
K.マジュンダル産婦人科12:00〜13:00
A.バタチャルヤ一般内科19:00〜20:00
C.S.チャタジーホメオパティック17:00〜18:00
アンジュンカル小児科火&木17:00〜19:00

 またレインボー・クリニックは問診、触診を基本的な診察とし、薬の処方箋を出してやるやり方(ポリクリニックという)ですが、血液検査やレントゲン、尿検査などの環境が整えば、注射や点滴などによる治療も可能になり、もっと貧しい人々の役にたっていくことでしょう。
 レインボー・クリニックではそのためのパソロジーの許可申請に入り、医療器具、備品を購入し始めました。


移動診療もスタート

移動診療を受ける村の人

 カルカッタの郊外には、ドクターもいない貧しい農村があります。当クリニックでは8月18日より田舎に車で出かけ、移動診療を始めました。
 第1回目はカルカッタを流れるフーグリー川の河口に向かって約50Km、カンプールという村で行いました。レントゲン車まで動員しての移動診療、村の人はとても歓迎してくれました。
 珍しそうに近寄ってきてほほえむ子ども達の目が輝いていてとっても印象的でした。




虹

虹のファミリー


☆名前の前の番号は、レインボー・ホームに来た順番です。


ホーム・マザーのリリー
ホーム・マザーのリリー

実家がレインボー・ホームの近くのシブランプールにあって、最初はレインボー・ホームの通いのヘルパーとして勤めていた。夫はアルコール依存症で酒乱のため、次男のシュボと共にレインボー・ホームに避難してきた。長男は腎臓病を持っているが、実家の祖父母が世話をしている。現在22才であるが、10人の子育てに邁進。そのバイタリティーはスゴイ!に尽きる。


女の子1.マラ・トゥドゥ 1993年10月16日生
マラ・トゥドゥ

父を亡くし母が貧しくて育てていけなくて、2000年11月6日に妹のスジャータと共に引き取る。実姉が一人、他の施設にいる。小学1年生。スジャータはもちろん下の子ども達の面倒をよく見る、さすがはお姉ちゃんである。今年に入って上の前歯2本が抜けてみそっ歯になってしまった。ちょっとかわいそう。頭がとても良い。


女の子2.スジャータ・トゥドゥ 1996年11月16日生
スジャータ・トゥドゥ

2000年11月6日に姉のマラと共に引き取る。幼稚園年長クラス。笑うと厚い唇が『だっこちゃん』人形のように丸くなる。 リーマが来る前は、いちばん甘えっ子だったが、リーマが来てからは少々ひがみ屋さんになっている。


男の子3.デボブラータ・パヤラ あだ名はピントゥ 1995年12月27日生
デボブラータ・パヤラ

父を亡くし母は精神障害のために子育てができなくて、2000年11月6日に引き取る。幼稚園年長。おっちょこちょいでちょっとおばかさんだが、愛嬌があってひょうきん者。時々、緊張した顔を見せる。


男の子4.シバ・シャウ 1994年12月18日生
シバ・シャウ

父は家出し行方不明、母は癌で闘病中のため、2001年1月8日引き取る。年の割に学力がちょっと足りないため、小学校予備クラスへ通いながら猛勉強中。運動神経は抜群で逆立ち、駆けっこはすごい!スポーツマンに育てたら将来有望である。


男の子5.シュボ・ダス 1998年7月18日生
シュボ・ダス

ホーム・マザー、リリーの次男。泣き虫でしょっちゅう他の子ども達とけんかしては泣く。 泣けばリリーに訴えにいくが、複雑な気持ちのお母さんリリー、今は10人のお母さん.複雑な気持ちはシュボも同じ、リリーは自分だけのお母さんでなくなったんだから。 幼稚園年少クラス。


男の子6.ビクラム・ダス 1996年8月14日生
ビクラム・ダス

父は心臓病、母は精神障害で子育てができないため、2001年5月9日に引き取る。幼稚園年長クラス。いつも遠くからみんなが楽しそうに遊んでいるのを眺めている。抱きしめると本当に嬉しそうな顔をするが、自分から甘えていけない孤独ちゃん。


男の子7.ビカッシュ・シャウ 1997年12月31日生
ビカッシュ・シャウ

両親とも死亡。2001年5月9日レインボー・ホームに。幼稚園年長。小柄だが抱くとずっしり重い。親はいないがお婆ちゃんからはかわいがられたのだろうか、お婆ちゃんが面会に来ると、とても嬉しそう。


女の子8.リーマ・チャクラボルティ 1998年5月18日生
リーマ・チャクラボルティ

父は家出し行方不明、母は貧しくて育てていけないために、2001年6月2日引き取る。他の子ども達のまねをして甘えようとするが、まだ心が開けないでいる。時々、強い分離感を示して他の子どもともよく喧嘩するわがままちゃん。とても小作りで抱っこされるのは大好き。幼稚園年少クラス。


男の子9.ラージクマール・シャウ 1995年1月2日生
ラージクマール・シャウ

ラフールと双子。両親ともいるが家が貧しく子育てができないために、2001年7月5日ウエスト・ベンガル州社会福祉局の依頼で、双子のラフールと共に引き取る。学校は入学準備中。同じ双子でもラフールyり積極的で、新しいスポーツにも挑戦的に覚えようとする。(写真右がラジュー、左がラフール)


男の子10.ラフール・シャウ 1995年1月2日生
ラフール・シャウ

ラージクマールと双子。二人はそっくりでなかなか見分けが付かないが、ラフールは鼻の右側の付け根部分に3cmほどの傷跡がある。ひっこみじあんで始めは素直に甘えられないが、安心するとベターっとするタイプ。でも時々寂しそうな顔をする。





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トピックス


8月15日インド独立記念日の催し

レインボー・ホームのリュック

 レインボー・ホームでは地域の小学校に広報して約400人ほどの生徒達、先生方がレインボー・ホームに集まりました。国旗を掲揚し国歌を斉唱。マザー・テレサのボランティアの方々、吉備国際大学の学生さんも数人参加し、レインボー・ホームはとてもにぎやかでした。
子ども達が帰る時には、レインボー・ホームの名前入りの登校リュックに、文房具、お菓子をもらってご機嫌でした。


地震救援ボランティア

 1月のグジュラト州を襲った大震災は、多くの爪痕を残し、今も尚住む場所もない人達や、親を失った子ども達が苦しんでおります。
 さて、特定非営利活動法人レインボー国際協会は現地にボランティアを派遣すべく準備を進めておりましたが、9月7日、看護婦さんの田中つねみさん、野村由香さんのお二人が、ブージに向かってカルカッタを出発し、現地NGO、Friends of Allの、協力のもとに被災者のケア、ボランティア活動に入りました。
 私達は阪神大震災でも経験したように、災害発生時は、多くの支援団体が目を向けてみんなの助けが集中するのですが、本当にたいへんなのは、そのあとの継続支援です。私達にできることは限りがあるのですが、できる限り息の長い支援をしていきたいと思うのです。また震災孤児のケア・センターでの子どものおもちゃ、特に、LEGOのブロックが好評です。ご家庭で子どもが大きくなって不要になったものでかまいません。送っていただける方は、よろしくお願いします。 



*** 編集後記 ***
 まだまだ暑い日が続くインドのカルカッタ。レインボー・ホームに一部屋だけエアコンがあるのですが、畳の部屋『安らぎの間』だけは別世界。時々逃げ込みたくなります。もう年かなぁ?
 八月十九日、レインボー・ホームの恩人、広島の小田貞子先生のご逝去の訃報をカルカッタで受け取りました。小田先生がいなかったら、このレインボーはなかったでしょうし、前回のレインボー通信で報告させていただいた『祈りの部屋』も実は、小田先生からいただいたご寄付で作られたものです。
 レインボーにデ・トゥジェと言って、『私はあなたにあげるものは何も持っていないけど、この命を捧げます』というヒンズー語の歌があるのですが、子ども達は『祈りの部屋』で一日一回、争うかのようにでっかい声で唱って、感謝のお祈りをしています。
 このレインボー・ホーム・ソングはマザー・テレサの国葬の時に唱われた歌で、マザーのハンディキャップの子ども達の施設<ダヤ・ダン>でも日曜のミサで、毎週唱われている賛美歌です。
 小田先生、どうぞ天国であなたが愛されたインドの子ども達の祈りと大きな声をお聞きください。(五十嵐)
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