釈尊の聖地について
生誕の地、ルンビニ
釈尊の母、マヤ妃が出産のために、カピラ城から帰省するときに立ち寄った美しい園。マヤ妃が産気をもよおし無憂樹(アショカの樹)に手をかけたとき、その脇腹から釈尊(出生名:ゴーダマ・シッタルダー)は誕生したといわれる。
ベナレスの北方、ゴラクプールを通過しスノウリという国境を越え、車で1時間ぐらいの静かな農村に位置する。かつてのマヤ堂は、遺跡発掘調査のためにとり壊されてはいるが、アショカ大王が建立した石柱は、健在。1997年世界遺産に指定された。
↑釈尊の母、マヤ妃を敬って建てられたマヤ堂、
今は発掘のために壊されている。
↑ルンビニにある日本人鋳造師、
山口秀三郎氏作。釈尊の誕生仏。
涅槃の地、クシナガラ
釈尊が45年にわたる伝道のあと、自ら予告し激しい下痢と嘔吐に苦しみながらもたどり着いた帰天の場所。二本の沙羅の木の間に床を敷いて、静かに息をひきとったという。涅槃堂には大きな釈尊のご遺体を表した涅槃像が安置され、近くには釈尊が荼毘にふされたラーマバールという塚がある。涅槃(インドの言葉でニルヴァーナ)とは最高の悟りの境地を意味する。
↑釈尊入滅の涅槃堂全景 ↑涅槃像の前にたたずむ少年僧
成道の地、ブッダガヤ
釈尊が意を決して、巨大なピパラの樹(天竺菩提樹)のもとで瞑想に入り、ついには大悟し衆生に「なぜ人間はこの世に生まれたのか」「中道」の概念を悟った、その教えの根元の場所。
 6年間、釈尊はこの地で修業をした。高さ52メートルの仏塔がこの聖地のシンボルであるが、釈尊が沐浴をした尼蓮禅河(ネランジェラ)を越えた、セナニー村に、静かなたたずまいのお堂がある。釈尊に初めて、供養を捧げたスジャータという女性が住んでいた場所である。
但し、ここの土産売りの人達のほとんどが日本語を話すことができる。魅力も多いが危険も多い。旅行会社の中では鬼門と言われるほど、身の安全に気をつけなければいけない。


↑ブッダガヤ郊外の田園にある寺院。スジャータが
釈尊に乳粥を差し上げた場所と言われる。
↑ブッダガヤのシンボルとも言われる仏塔、
高さ52メートル。
東の伝道の地、ラージギール
釈尊が伝道生活の三分の一はここで過ごしたといわれる。日本山妙法寺の開祖、藤井日達上人はここの多宝山(ラトナ・ギリ)に本山を置き、釈尊生誕の地インドに仏教を帰すべく、平和の塔(シャンティ・ストーパ)を建立した。頂上まで続くリフトは、日本から導入したもので時々インド映画の恋人達の出会い、または別れに使われることもある。
 欠かせないのは霊鷲山(りょうじゅせん)のご来光。ここの朝日が昇るシーンは、もう言葉に表すことができない。
 かつてこの地はマガダ国と呼ばれ、ビンビサラー王が統治していた。その子どもアジャセ王子が誤解によって、父王を殺害した話は有名であるが、意外に「アジャセ・コンプレックス」の語源を知らない人が多い。
↑多宝山の頂上にある、
日本山妙法寺が建立した「平和の塔」。
↑霊鷲山(りょうじゅせん)の洞窟で、
瞑想に集中している僧侶
降天の地、サンカシャ
釈尊が、あまりに衆生が仏法を理解できないことに嘆き、あの世に帰った。そして亡きお母さんマヤ妃と出会い、自分を生んでくれた感謝を表し、仏法を説いたという。そのあとに天から舞い降りてきたのが、この地である。
西の伝道の地、シュラバスティ
ここは舎衛城(マヘート)と言ってコーサラ国の首都、2500年前、東のマガダ国、王舎城と並んでもっとも栄えていた街。釈尊も頻繁にこの街に行って、たくさんの法話を説き、大きな奇跡を表した場所である。何といっても祇園精舎(サヘート)、平家物語の冒頭に出てくる「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。ここは行ったことがなければ、言い表せません。


↑ヴァイシャリー、
祇園精舎の園の中央にある釈尊の香室跡。
↑平家物語冒頭「祇園精舎の鐘の声・・」とはこの鐘
のことをいう。但し、後から日本から持ってきた物。
初転法輪の地、サルナート
釈尊が悟りを開いたあと、「この深い教えを衆生に説くことは難しい、いっそ天に帰った方がよいのでは」と迷っていたときに、天から啓示を受けた。「西に行きなさい、そこには鹿の園(ミガ・ダヤ)がある。あなたを離れた5人の部下がいる。彼らは必ずあなたの法がわかる」天から呼びかけたのは梵天(ブラフマン)だった。
 その声に従って、最初に赴いたのがサルナート。そこで釈尊はなぜ人間は迷い苦しむのか、ならばその道から解放されるにはどのように生きていったらよいのか、「四諦八正道」「苦集滅道」の道を説いた。
 「法輪」とは戦車のこと、釈尊は人を殺す武器を使わず「法」という人を生かす武器で、初めてこの地で法を説いた。それが「初転法輪」と言われる由縁である。
   
↑サルナートの遺跡の全貌 ↑アショカ大王が建てた石柱にあった「四匹の獅子像」。
サルナートの博物館にある。
遊行の拠点、ヴァイシャリー
インドの雨季、そして暑さは厳しい。それも5月から6月に入ったら、体験した人でなければわからない。この時期、雨釈尊は遊行の途中で、必ず立ち寄ったのがこの街である。ビハール州の首都パトナからガンジス川の本流を渡って約40キロメートルのところにある。
 釈尊は最期の旅で従者にこう語った。「この街は美しい。世界にこのような甘美なものがあるだろうか」
 そこにはアショカ大王が建てた石柱があり、てっぺんに完全な獅子像が残っている。周りはきれいな田園、そして菜の花、思わず触ってしまいたいたくなるようなブーゲンビリア。畑のオクラ、風にたなびく麦の穂、すべてが美しい。
↑発掘中の遺跡の全貌 ↑アショカ大王の石柱頭頂の獅子像
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