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風に立つライオンの旅とは
さだまさしのアルバムに「風に立つライオン」というタイトルの曲があるが、
この歌から名前をいただいてNPO法人を立ち上げた団体が鹿児島県にある。
もちろん、さだまさし氏に許可を得ての話しである。
NPO法人「風に立つライオン」は、良いお医者さんをこの世に送り出したいという願いを持って、
堂園晴彦医師が創った団体である。堂園医師とは、鹿児島市内で総合内科を始め、
産婦人科、がん総合診療科からホスピス・ケアまで『手の温もりとおもてなしのシャワー』を理念に、
堂園メディカルハウスを経営している方で、レインボー・ホームにクリニック部門を開設してくださった
古川誠二医師の紹介で、2000年12月に『インド心の旅』に参加してくれたのがご縁の始まりだった。
そのNPO法人「風に立つライオン」が、医学生の中から希望者を募り、マザー・テレサの施設での
ボランティア活動を通じて人間尊重の実際を学ぶ機会を与える旅が風に立つライオンの旅である。
NPO法人レインボー国際協会がその研修を請け負い、実務をピュア・ハート企画が代行している。

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| NPO法人「風に立つライオン」との協力 |
入院時に癒されて
インド帰りの私はマラリアにかかって、武蔵野日本赤十字病院に入院したことがあった。健康がとりえの自分にとって、初めての入院体験だった。日本のお医者さんで、マラリアの患者を扱った体験を持つ医者は、本当に少ない。担当の医師も、都内にある慈恵医大の熱帯医学の先生から指導を受けながらの治療だった。
私も初めての病気に不安だったことは言うまでもない。加えてこれからレインボー・ホームの建設が始まるのに、資金調達もできていない。入院なんかしていられないのに激しい悪寒、発熱、発汗、そして少し良くなったかと思うとまた翌日、悪寒がやってきて、それが二、三日おきに繰り返す。マラリアの症状である。
自分が最悪の状態の時にいちばん癒されたのは、看護婦さん(女性に対して尊敬を込めて)の優しさであった。毎日体温を計り、採血に来る若い看護婦さんがいた。病室に来ると必ず温かいねぎらいの言葉をかけてくれる人だった。将来、日赤を辞めたら途上国で医療の国際協力にたずさわりたいと言って、患者にも気さくに自分の夢を語る人だった。私はその看護婦さんの明るさに、ずいぶん慰められたものだった。
フロックコート・プロジェクト
お医者さんは、病気の体を治してくれるのだが、心を癒してくれるお医者さんは少ない。私はインドで堂園医師にその話をした。
「そのとおり」と彼は言った。今、看護婦さんのモラルはとても向上しているのだが、医者の仕事は専門化されてきて、患者の心に入っていくことのできる医者が少ない、自分は良い医者をこの世に送り出す仕事をしていきたい、医者にとって大切なのは、人に仕えるこのマザー・テレサの精神であると、彼は話してくれた。
堂園医師は、若い学生にこのマザー・テレサの愛と祈りを学んでほしくて、まず自分が体験しようと思い、『インド心の旅』に参加させてもらったと言う。私より一才年上の「うるう年」に生まれた先生である。私は直感でこの医師に、同じ時代を生きる熱い血を感じた。
彼は「私の知人からまとまった寄付を頂いた。このお金を本当に貧しい人や、弱い人を助けていく医者を生み出すために使いたい。私の考えているプロジェクトを手伝ってもらいたい」と言うのである。
彼のプロジェクトは、「フロックコート」と言う。私はその意味が解らなくて尋ねた。
「人生とは旅のようなもの、北風の中、寒さに震えて旅をしている旅人に、私は何も言わず、そっとフロックコートをかけてあげたい」と彼は答えた。
私はためらいもなく「先生のプロジェクトを手伝わせてください」と言って、握手を求めた。
偶然に届いたCD
堂園医師は、良い医者をこの世に送り出すためのプロジェクトを推進するために、NPO法人設立の準備に取りかかった。
神様のいたずらは、憎たらしいほど手が込んでいる。それから三ヶ月ほど経って、第48回『インド心の旅』が終わって帰国したある日、福岡に住む本山千恵加さんから、「さだまさしベスト」というアルバムが届いた。彼女はさだまさしの歌『風に立つライオン』が大好きで、この曲を聴くと泣いてしまう、という内容の手紙が添えられてあった。
彼女は、『インド心の旅』に参加した時に、たまたま当協会の監事、安野啓義氏と一緒で、旅の途中に二人でさだまさしの曲『風に立つライオン』の話しで盛り上がったのだそうである。五十嵐にもぜひ聞いてほしいと、送ってくれたのである。
その曲はアルバムの最後に収められていたが、真っ先に聞いてみた。歌の歌詞に耳を傾けながら、なぜか不思議な戦慄が体に走るのを感じた。堂園医師が立ち上げようとしているNPO法人の名称が『風に立つライオン』であり、そのこととは全く関係なく、『インド心の旅』に参加した一女性が、そのCDを送ってくれるなんて、偶然にしてはできすぎていると思った。
『風に立つライオン』の物語
テーマになっているのは、一人の医師がつきあっていた女性と別れて、貧しい人たちのために働きたくてアフリカに渡った話しである。ナイロビで迎える3度目の4月、その若い医師のもとに、別れた彼女から手紙が届く。手紙を読んだときの気持ちをたんたんと綴ってある。
3年の間ケニアのいろんな所を回り、たくさんの感動をあなたに伝えたかった。ビクトリア湖の朝焼け、百万羽のフラミンゴが一斉に飛び立つ時の暗くなる空、キリマンジャロの雪、草原の象のシルエット。しかしいちばん伝えたかったのは、自分の患者達の瞳の美しさだという。
診療所に集まる人々は病気だけれど、少なくとも心は僕より健康なのです。自分はここに来て辛くないと言えば嘘になるけど、しあわせです。
この曲を聴いて私はインドの子ども達に同じものを感じた。裸足で泥まみれ、着る服もないけど真っ黒くなって路上で遊んでいるインドの子ども達の目はきらきら輝いていることが驚きだった。
帰国して家路に向かう途中、中央線の電車の中で、鞄を背負って塾に行こうとしている小さな子どもが、座席に座ってコックリ、コックリしていた。「あのインドの子ども達と、どっちが幸せなんだろう」と、何か大切なものを私達が見失っているような気がした。さだまさしの歌詞も次のように綴られている。
この偉大な自然の中で病と向かい合えば、神様について、人について考えるものですね。やはり僕たちの国は残念だけれど何か大切なところで道を間違えたようですね、と。
歌のモデル、柴田医師
また次の「自分は、あなたや日本を捨てたわけではなく、「現在」を生きることに思い上がりたくないのです」という歌詞に、この医師の人生観が感じられる。
実はこの歌には、県立日南病院に勤務している柴田紘一郎という医師がモデルとなっている。この歌ができた直後に、彼はさだまさし氏に宛て、次のように葉書を送ったそうである。
「まさしさんはこれは僕の歌だと言うけど、これは『風に立つライオン』という歌であって、自分はこの歌のヒントになったに過ぎない。だけど僕はあなたの描いたライオンに一歩でも近づくために、これからもがんばっていきます」と。
さだまさし氏は、ああ、やっぱり自分の好きな医師だなあと、思ったそうである。「あの歌はカッコ良すぎて、柴田先生は自分がモデルだなんて自慢するようで嫌なんじゃない」と語っている。
なぜ『風に立つライオン』か
この歌を聴いた人は、なぜ『風に立つライオン』なんだろう、と思ったかもしれない。これに関しては、堂園医師が育てている医学生達が、さだまさし氏にインタビューした内容に、詳しく載っている。
ライオンというイメージは、医師というよりも、一人の人間として捉えてくれるといいです。僕らの国はちょっと変だつていうのは、医者だからということではなく、海外に暮らす一人の日本人としての思いなんですよね。
人間というのは、職業に殉ずるといいながら、どこまでも自分を捨てることはできないでしょう。 心の中で、悩みも苦しみも、切ないこともいっぱいあるけれど、くじけるもんかっていう意味で、自分を勇気づけ励ます意味で、ライオンっていう動物を出したのです。
逆境の中でもひるむことなく、心だけは王様のような、強い心を無くしたくないという、すっくと立っている百獣の王のプライドです。
プライドっていうと、身勝手さを連想されると困るけれども、人間の尊厳っていうか自分の意志っていうか、そういうものに誇りを持ちたいっていう気持ちの現れです。
それは医者だからではなく、生きているということに対する誇りのことです。この歌は医者の立場を借りながら、自分に対するエールでもあるわけですよね。
カッコイイでしょ、風に立つライオンって。ライオンなんて何もしないんだけれど。(笑)
うん、風が後ろから吹いたりしたらみっともないですよね。
医学生達に一言
さだまさし氏が書いておりました。
患者にとって、お医者さんとか看護師さんというのは神様のような存在です。そのことだけは忘れないでほしい。なぜなら不安な患者もお医者さんの笑顔や、一言だけで元気になったりするでしょう。
信頼する先生に「こんなの気にするな」と言ってもらうだけで、病気も治ってしまったりするでしょう。看護婦さんに、不安そうな顔をされるだけで、患者は「ああ、もう死んじゃう」と思ったりするものですよね。お医者さんや看護師さんというのは、それだけの影響力があります。
たとえば、飛行機が揺れている時に、スチュワーデスが青ざめていたら、「ちょっと待って、落ちるの?」と思うのと同じで、病院の中の患者にとって、お医者さんは神様ですね。
お医者さんから見れば、一人の患者は「One of them.」かもしれない。患者の一人一人は本当に小さいけれど、彼らにはそれぞれの人生があって、その背後には家族があって、生活があって、友達もいて、その中で誠実に一生懸命生きている生命だということを理解してほしい。医学生時代、勉強するために使った動物と、患者は違うということをわかってほしい。
ひどくプレッシャーをかけるみたいだけれど、良いお医者さんになるということは、自分の人生が豊かになることだから。
お医者さんは、人の生命に対して、安らぎを与えることができます。例えば嘘でもいいから、「この先生は僕の味方だ」と、患者に思わせてほしい。敵だって思った瞬間に、病気は治ろうとしなくなります。
柴田先生の言葉で、印象に残っているのは、「治ろうとしない患者は、どんな名医でも治せない」という言葉でした。それに僕はすごく感動したけれど、彼は「病気を治すのは神様で、神様と患者が相談をして治ろうとするんだ。医者はその間に立って、患者を勇気づけながら、神様の邪魔をしないようにしなければならない。これが外科の執刀医の正体だ」と、言っていました。
いつも柴田先生は、「自分はただの技術屋です」と、言うけれど患者は、その先生を通して神様を見ているわけです。
「愛」を学ぶ原点
『風に立つライオン』の研修を引き受けて二年目になるが、一般の自費参加の方を除いて前回は8人、そして今回は9人の医学生の研修の依頼を受けた。
出発の時点で、イラク戦争が始まり某大学の2名は、学校の通達もあって、万一のことを恐れて、土壇場で参加をキャンセルしてきた。
よくマザー・テレサは生前、私達に話してくれたものだった。
「ここコルカタ(旧カルカッタ)、私達のもとへはいくら来たくても来れない人達がいる。しかし、今あなたはここにいる、そのことがどんなに神に愛され、大きな恵みを与えられているか、気づいてください。あなたは貧しいイエス・キリストに直接触れることのできるすばらしい体験をいただいたのです」。
そして今回、『風に立つライオン』の目的も、私達が定期的に行ってきた『インド心の旅』も目的は近いことから、プログラムは一緒にすすめられた。
私は、この研修を始めるにあたって必ず、皆を案内する場所がある。モティ・ジル(真珠の池)と言って、マザー・テレサが神の啓示に従ってロレット修道会を出て、一人で青空教室を始めたスラムである。そこには小さな教会が建てられ、今でもかつてのマザー・テレサが行ったと同じように、シスターたちの手によって貧しい人達のために無料の学校が行われている。
この場所は、マザーが第一歩をスタートした場所であるにもかかわらず、世界中のほとんどのボランティア達は知らない。しかし、訪れたらわかるように、マザー・テレサの初心が今でも息づいているかのように、その鼓動さえも全身に伝わるような場所である。
私はいつもそこで問いかけるテーマがある。
「今、あなたがここに来れたと言うことが、どんなに幸せで、どんなに天によって愛されているか」というマザー・テレサの思いである。
即ち、いっさいのボランティア、奉仕の原点は「自分は愛されている」という確信からスタートするからに他ならない。
カトリックのマザー・テレサは、「日々の祈りの中で、まずイエス・キリストがあなたに対して、I love you. と語りかけてくる声を聞きなさい」と言われる。
これは「愛」を学ぶことの原点である。
なぜなら、自分が愛されていることも知らないで、人を愛することができないからである。
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| 参加医学生の体験 |
大北恵子
今回の旅には『風に立つライオン』の申込みに遅れて、渡航費を出してもらえなかったが、自費でもいいから参加させてほしいといって、私達の旅に申し込んできた医学生がいた。
大北恵子、彼女は久留米大学の医学部を卒業し、社会に出ようとする直前、まさに人生の大きな過渡期に遭遇して、真剣に自分の生き方を考えているかのように私には見えた。
モティ・ジルの教会で祈っていたときにも私のレクチャーを聴きながら、静かに心の感動を涙に表す子だった。
私達の旅は、宿泊のホテルにレストランがないということも重なって、夕食時には市内のいろんなレストランを訪れる。それがまた参加者の楽しみであり、みんなの意見の分かち合いの場となる。
その日も例によって、楽しく食事をしながら、各自が行った施設で、どんなことを体験したか話し合った夕食だった。
宿泊ホテルまでの帰り道に、彼女は私に問いかけてきた。
「マザーのお墓で祈っているときとか、五十嵐さんの話を聞いているときは、自分が神様に愛されていることはわかるんだけど、どうしたら、いつも愛を感じることができるの?」
愛されていることを知る
どうしたらいつも、自分が愛されていることを感じながら生きていくことができるか、その時私は彼女にあまり多くを語らなかった。「ただ、マザー・テレサが言うように、原点は祈りなんだよ」とだけ言った。
翌朝六時、いつものように私達はボランティア活動に入る前の祈りのために、マザー・ハウスに行った。マザー・テレサのお墓に行くと、決まって私が瞑想する場所があるが、大北恵子は少し離れた場所に、腰を下ろしマザーのお墓にすがるかのように祈っていた。
静かな時が流れていった。ふっと隣を見ると大北恵子はマザーのお墓に伏しながら、泣いていた。
「ああこの子はわかりかけてきている」と思い、私は彼女の背後に回って、背中にそっと手を当てた。
大いなるものに対する彼女の感謝は、ぽたぱた落ちていく涙に変わり、床を濡らしていった。
どのくらいの時間が経過しただろうか。祈りが終わって、マザーのお墓の前で、大北恵子を抱きしめながら、私は「答えがわかった?」と聞いた。
こっくりとうなずいた彼女の顔はとても、爽やかだった。
帰国のあとに
私に感謝を伝えたかったのだと思う。帰国して一ヶ月もしないうちに彼女は我が家に来て、その時一緒に旅をした仲間と共に、ささやかな飲み会をもった。
帰るときに彼女は次のような手紙を残していった。
私は今まで、とても孤独でした。なぜなら人の前でいつも見栄を張って、好かれたい認められたいと思って、本当の自分でない私を演じていたからです。他人は本来の姿でない自分に話しかけ、私は一生懸命良い子を演じていました。
人は、そんな飾りをつけた私を好きだ、嫌いだと評価しても、その言葉は本当の私に向けられたものではなく、意味もなく通り過ぎていき、あとに残るのはただ空しさだけでした。
「こんなに淋しいのは、もういや!」と私は叫んでいたのです。
あの時私はマザーのお墓で、計り知れない愛を感じていました。「ああ、愛されている」と思っていたときに、誰かが私の背中に手を置いてくれました。それはとってもリアルな感覚で、もし五十嵐さんのズボンが見えなかったら、マザー・テレサがあの世から降りてきてくれたような錯覚を、ずっとし続けていたと思います。
本当に嬉しかったです。あの時の五十嵐さんの言葉は決して忘れることができません。
「あなたは今ここにいるでしょ。多くの人に愛されてこなかったらここにいないよ。それに気づいたら今度は、人を愛して生きなさい」
もう一つ嬉しいことがありました。アージュンさんのお宅に泊まらせてもらったときに、堂園先生の本を見つけました。「水平線のかなたに」そんな題名だったと思います。主人公が恋人と浜辺に出て、亡くなった母のことを回想する物語でした。
「消えるわけではない。見えなくなるだけだ、けれども、ずっとそばにある。」
私はこの話を読んで泣きました。
日本に帰る日が近づくにつれて、愛に満ちた「風に立つライオン」と『インド心の旅』、離れるのがとても辛くなっていた頃だっただけに、この物語を読んで「見えなくなるだけなんだ。けれどもずっと傍にあるんだ」という思いを持つことができました。
マザー・テレサもみんなの愛も、五十嵐さんもずっとそばにいる。そう思うことができました。
覚えていますか。自分が死ぬときには恵子に来てもらって、お前に死亡診断書を書いてもらうから、と五十嵐さんが言ったことを。私が医者になったときは、どこからでも私は駆けつけます。ありがとうございました。 大北恵子
※2006年2月現在、飯塚病院総合診療科医師として勤務。 |
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