| 1910.8.26 |
旧ユーゴスラビア、現在のマケドニアの首都、スコピエで生まれる。母はドラナフィル・ボヤジュ、父はニコラ・ボヤジュ。6才上の姉アギーと、3才上の兄ラザールのあと、三番目の子どもとして誕生し、翌日幼児洗礼を受け、名前はゴンジャ・アグネス。当時、マケドニアはオスマン・トルコの占領下にあった。 |
| 1919 |
父と死別。ゴンジャの父は熱心なアルバニアの愛国者。彼女はこの父にこよなく愛され、その後の語学の才能、音楽のセンスは父、ニコラから受け継いだといっても過言ではない。 |
| 1928.8.15 |
最初の召命。父と死別したゴンジャは、家族と信仰の生活を続けていたが、とつぜんセルナゴレの聖堂で神の導きを受け、貧しい人々に仕えるために、ロレット女子修道会に入会し、生涯をイエス・キリストのために捧げようと決心をした。 |
| 1928.9.26 |
最愛の母と、姉に別れを告げ故郷を去りパリに向かった。数週間、パリでシスター・ユージンと過ごし、イエスのしもべとして生涯を捧げる決心を強くした。その後アイルランドに渡る。 |
| 1928.10.12 |
ロレット女子修道会のシスター志願者としてテレサという修道名を受ける。同年12月1日修道会本部のアイルランドのダブリンからインドに派遣される。三ヶ月の航海。 |
| 1929.1.6 |
宣教の地コルカタに着いた。同年5月23日ダージリンに赴き修練生となる。 |
| 1931.5.25 |
ダージリンにて初誓願。「清貧」「貞潔」「従順」を神に誓い、コルカタに戻ってロレット・スクール、セント・メリー校の教職に就く。 |
| 1937.5.24 |
ダージリンで終生誓願を迎える。以後マザー・テレサと言われる。 |
| 1944 |
セント・メリー校の校長となる。また、聖アンネ姉妹会の責任者として活動する。 |
| 1946.8.16 |
インドとパキスタンの独立戦争のもとにヒンズー教徒とイスラム教徒との間で暴動が起こり、何万人もの死傷者を目の前にし、マザー・テレサは、東奔西走しロレット・スクールの婦女子を守るために全力を尽くす大変な時期を過ごす。持病の気管支炎が再発する。 |
| 1946.9.10 |
ダージリンに向かう汽車の中で、十字架につけられ最期に「I Thirst.」と、マザー・テレサに語りかけるイエスに出会う。その言葉が何を意味するか、すぐにはマザー・テレサにわからなかったが、やがてそれが「貧しい人の中の最も貧しい人に仕える」ということだと知る。この「内なる呼びかけ」によって、神の愛の宣教者会 Missionaries of Charity が創られることになる。
|
| 1947.8.15 |
インド独立。東パキスタン分離。難民がカルカッタに押し寄せる。 |
| 1948.4.12 |
ロレット女子修道会を離れる独自な活動の許可をローマ法王より与えられる。 |
| 1948.4.17 |
3本の青い線の入ったサリーを着て、ロレット女子修道会を去る。そしてパトナのミッション・シスター病院にて医療の基礎知識を勉強する。 |
| 1948.12.27 |
コルカタに戻りしばらく黙想の時間をもった後、ロレット修道会のすぐ近く、モティジル(真珠の池という意味)で貧しい子ども達のために無料の学校を始めた。そこには大きなバニアンの木があったという。その木の下で棒きれで地面に字を書き、子ども達に識字教育を始めた。 |
| 1949.2 |
マイケル・ゴメス氏の協力のもとに、マザー・テレサは彼の家(14, Creek Lane)の3階に住むところを与えられ、貧しい人達のために、本格的な救済活動に取りかかる。 |
| 1949.3.19 |
教え子のスバシニ・ダスが最初のマザー・テレサの弟子として参加した。 |
| 1950.10.7 |
ペリエ大司教管轄のもと正式に、神の愛の宣教者会 Missionaries of Charity が設立した。 |
| 1951.12.14 |
インドの市民権を得る。 |
| 1952.8.22 |
コルカタ市の協力によって、カリ・ガートに死にゆく人達のための療養施設「ニルマル・フリダイ」(Pure Heartの意味)を開設する。通称「死を待つ人の家」と呼ばれる。 |
| 1953.1.13 |
アン・ブレーキー女史の協力によって、マザー・テレサのサポーターの集い「マザー・テレサ共労者会」が発足される。 |
| 1953.2.28 |
ゴメス氏の家から徒歩20分のところ、Lower Circular Road (現在の、A.J.C. Bose Road)に移転する。神の愛の宣教者会 Missionaries of Charity の本部として通称マザー・ハウスと呼ばれる。 |
| 1953.4.12 |
マザー・テレサ、MCにおける終生誓願、またMC創立時の10人のシスターが初誓願を向かえた。 |
| 1955 |
マザー・ハウスから徒歩数分のところに、子どもの家 Shishu Bhavan 開設。 |
| 1959.1 |
コルカタ郊外約30Kmのところチタガールに、ハンセン病療養センターを開設。 |
| 1965.7.26 |
海外に置いて初めてのMCセンターが、ベネズエラに開設される。1970年末には世界8カ国、計40カ所にMCセンターが設置された。シスターの数330人。 |
| 1971.11.15 |
Jhon F. Kennedy 国際賞が贈られる。 |
| 1976.1.25 |
ニューヨークにシスター・ニルマラ(マザー・テレサの後継者)によってMC観想修道会が開設される。 |
| 1979.12.10 |
ノーベル平和賞受賞。 1980年末には世界35カ国、計178カ所にMCセンターが設置された。シスターの数1,335人。 |
| 1981.4.23 |
初来日。4月26日、上智大学にて講演。 |
| 1983.6 |
ローマにて心不全のため入院。 |
| 1985.12.24 |
ニューヨークに初のAIDS患者のための療養施設を開設。 |
| 1987.8.24 |
ソビエト平和委員会より金メダルを受賞。翌年12月21日、同国に初めてのセンターを開設する。 |
| 1989.9.5 |
心臓病のために手術、ペースメーカーを備える。1990年末には世界95カ国、計441カ所にMCセンターが設置された。シスターの数2,918人。 |
| 1990 |
マザー・テレサが引退を表明し、MC総長の選挙をしたが、全てのシスターがマザー・テレサに投票したためマザー・テレサの続投が余儀なく決まった。 |
| 1993.3.25 |
帰天まで残りわずかと悟ったマザー・テレサは、ベナレスのMCセンターより遺書とも言うべき私信をしたため、シスター方に送る。 |
| 1997.3.13 |
再びMC総長の選挙が行われ、シスター・ニルマラがマザー・テレサの後継者に選ばれる。 |
| 1997.9.5 |
コルカタ、マザー・ハウスにて永眠、87才。 |
| 1997.9.13 |
インド政府によって国葬が行われた。この時、世界123カ国、計594カ所にMCセンターが設置された。シスターの数3,914人。 |
| 1999.7.26 |
コルカタの聖マリア教会にて、マザー・テレサの人徳と評判、そして行われた奇跡の数々を確認するための、公開教区会議が行われた。2000年末には世界125カ国、計652カ所にMCセンターが設置された。シスターの数4,281人。 |
| 2003.10.19 |
教皇ヨハネ・パウロ2世によって、マザー・テレサは福者の称号をいただき「カルカッタのマザー・テレサ」と呼ばれるようになった。
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2005年末には世界133カ国、計737カ所にMCセンターが設置された。シスターの数4,713人。
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